幸せのモノサシ
モノサシ、思い起こせば昔私の家にも竹の長いモノサシがありました。
幼き頃、そのモノサシで親爺に叩かれたことあったような?なかったような?
その記憶定かではないが、竹のモノサシだけは鮮明に覚えています。
みなさんは、この竹製のモノサシご存知でしょうか?今では、目にしないよネ。
さて、今日は、幸せとそれを計るモノサシのお話です。
人は、みな幸せを願っているのでしょうがその幸せがどこにあって、どんなものか?
見えず?分からず?にも関わらず、ひたすら幸せになりたいと願うのが人間のようですね。
ここにモノサシがあったとしても、この捉えどころのない誰もが求めるもの、そのものが見えなきゃ測ることできないでしょうね。
世界各国の政府は「国民の幸福度」を測るモノサシとして国のGDPなどの経済指標で見ようとしてきたのだそうですが・・・・・・必ずしも所得がイコール幸せでないことが分かってきたようで、
今では、新たな幸福論概念が必要だとの見解だそうです。
一方では、幸せを測る必要があるのか?の議論もあるようですね。
さて、幸せとは何か?見えないままでは?気持ちが悪い・・・・・・
かくなる上はとネット検索「幸せとは?」を調べてみました。
すると、あるある、出てくる出てくる?いろんな幸せの定義があるようです。
「幸せとは?」いろんな幸せの定義を読めば読むほど、難しいものである事だけは理解できました。
表題で“幸せのモノサシ”などとし書き出したこと今では只只反省しています。
これでは、幸せなど到底測ること出来ないことを知っただけで終わりそうです。
よって、ここに用意したモノサシだけが虚しく転がっています。(笑)
しようがないので、私のもっとも納得している好きな言葉を紹介します。それでお許しくださいませませ。
・『しあわせはいつもじぶんのこころがきめる。』
これ、幸せの定義もそれを測るモノサシ(定規)も自らの心の中にあるとのことなんでしょう。こう語った人が誰か?分かる人には分かるでしょう???(S)
投稿日:2014年7月19日
カテゴリー:事務局からのお知らせ