私たちは、丹頂が湿原を飛翔し美しい夕陽が川面を染めあげる港町釧路の守成クラブです。 私たちは、
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若者が旅にでる。

 今月7日の帯広例会に青年@探偵団幹事10名が参加するようですね。
これは、クラブが今年度実施することにした『他会訪問補助制度』を使った第1号となります。
40歳未満の若者たちが大挙して隣街のクラブ例会に参加し、その後みんなでホテル1泊だそうです。これいいですね〜〜

 外をみなけりゃ!外にでなきゃ!外から見なきゃ!自らは見えない?といいます。
是非、他のクラブ見学を通じて我が住む街と我らクラブを見つめる1つのきっかけにしてください。

 お話ガラッと変わって、
徳川幕府の末期、各藩の若き志士達は、こぞって遊学の旅にでたそうです。
これは、訪れる町で会う逸材との関わりの中で自らの藩とあすのニッポン国を考える旅だったといいます。
 また、この旅でつくられた網の目のような人脈相関が大きな力となって新しい時代・維新への道を拓いたとも言われています。
ある書籍によると明治維新への引き金は、「黒船」とこれら若者たちの「遊学の旅」だと書かれています。
 国を憂う若者たちの交わす激論の中から維新の炎が各地に広がっていったのでしょう。
その意味では、この時代の若者たちは凄いですよね〜。
 そして、驚くのは、ニッポンの大変革をなし得た維新の志士たちの当時の年齢でしょう。ほぼ30代の若者たちですよ。
 黒船来航1853年から明治維新1868年までの約15年間を「幕末」と呼んでいますが、この黒船が来航した時の志士たちの年齢をここに1部ご紹介しましょう。

 ・勝 海舟 (幕府) 30歳
 ・西郷隆盛(薩摩) 24歳 (49歳死去)
 ・吉田松陰(長州) 23歳 (29歳で死去)
 ・大久保利通(薩摩) 23歳 (47歳死去)
 ・坂本竜馬(土佐) 18歳 (33歳で死去)

 ・高杉晋作(長州)
 14歳 (28歳で死去)
 ・伊藤博文(長州) 12歳

ご覧のようにみな驚くべき若さでしょう。

 この若者たちが、開国以来15年間「いかに生きるべきか?」・「自らの命をいかに燃やすべきか?」をもって、この年齢にして熱く燃え国を動かしたことは確かなのでしょう。
勿論、明治維新を見ることなく志半ばにして死んだものも多いのですよね。
彼らは、みな中国古典(陽明学)を通じて、人の生き方を学んだ若者たちでもあります? (S)

追伸/
きみのゆくみちは・・・・♪
気がついたら、全国大会でみなで謳ったあの歌「若者たち」を口ずさんでいる私でした。

投稿日:2014年7月3日
カテゴリー:事務局からのお知らせ

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